神託書記の始まり

Tomoko Media Davi

神託書記で魂の本流に目覚め、人生の次のステージへ

神託書記の始まり

原点は高校時代の一筆から始まった

神託書記の始まりは、鳳ノ上紗妃自身が記憶に残っている限りにおいては、1987年(昭和62年)頃でまだ高校生だった頃に遡ります。

それは、選択科目の書道の時間に、「毛筆で自由に書して良い」という課題が与えられたときだした。

本人もその文字は今でもはっきりと覚えています。
なぜなら、書した当の本人ですら、自分の書いたものに一種の驚愕と強烈な喜びを感じたからでした。

『美具久留』

その当時は、自身のアイデアによって当て字で綴ったと思い込見ながら書いたのを覚えています。

当時私はオシャレや容姿を美しくすることにすごく興味があった為、このように書いたのも何らおかしな発想ではないと思っていました。ですが、それにしても、我ながら素晴らしいと思い喜んでいたのでした。

書道は小学校に通っていた6年間と高校時代に少し嗜みましたが、それに依って書家になりたいといった様な願望もなく、ただただ文字を書くのが楽しいと思うだけの少女期と青年期でした。

それから、2007年(平成19年)にこの地、美具久留神社を産土様とする地に縁あって住まわせて頂く運びとなるまでには、実に約20年の月日が流れていました。

ですが、この地に引っ越してきた当初は、まだ、「すごい偶然もあるものだ!私が高校生の時に書いた書の文字と全く同じ神社の名前があるのか!!すごい!」としか思っていませんでした。

つまりは、その時はまだ自動書記※なるものの存在すら知らなかったのです。

迷いと試練を経て書き上げた24巻の巻物

後から思い返せば、『美具久留』と高校の書道の時間に書いた あの書が、自動書記(のちに神託書記と知らされる)の始まりだったこと、そして、そこから20年後、ようやく、この美具久留の大神様を産土神とする地に住まわせて頂ける運びになったこと、このことだけでも驚愕でありました。

ですが、そこから更に15年の年月が過ぎた、2021年(令和3年)晩夏のとある早朝に自動書記は約34年の時を経て再び、書き降ろされたのでした。

突然、「筆を持て、記して皆に伝えよ!」
と、どこからともない声に電撃的に起こされたのでした。
近くにあった画用紙と筆ペンを持ち、ベッドの上でただひたすらに書き綴りました。

サラサラとした涙が頬を伝いながら、ですが、安堵感に包まれながら約1時間半にわたり、智慧の言葉がとめどなく、私の耳や手、意識を使い書き進められていくのでした。

その書も後に続くであろう機会に、皆様にもお届けできればと思っています。

そこからも、自動書記なるものに恐れ慄くことが続き、覚悟を持って神託書記家としての道を歩むまでに、様々な気づきを促す試練を頂きました。
決して平坦な道のりではございませんでした。

やはり、畏れおおい想いや、「きっと自分の妄想だろう」と自動書記自体を否定してみたり、またあるときは、「自分の才能が突然開花したのではないか?」と謙虚さを欠いた自負があったりしました。そして、そういった時には、心身の不調に見舞われたりもしました。

またあるいは、神託書記を役割と捉え邁進する事を恐れ、別の仕事や世界に身を投じたりした時には、そこでの生活、経済状況、人間関係は見事に足止めを喰らう経験を幾度かさせて頂きました。

そんな状況を経つつ、2022年〜2024年(令和4年〜2月22日〜令和6年9月3日)に約2年半(30ヶ月)かけて、ようやく巻物24巻を書き降ろし終えました。